まなざしの有無

写真にうつる人。映像にうつる人。誰かの日記に書き留められる人。彼らにはまなざしが必ず向けられている。カメラのシャッターを切る人、写真や映像を見る人、その人を思い出して日記を書く人。さて私は、誰かのまなざしを向けられているのだろうか。問いを投げたところで、向けられていない。誰かの日記に登場することがあるとは思えない。防犯抑止の「誰かが見ているぞ」の看板・ステッカーも疑う。本当に、見てくれていますか?こうなると、自分で遺していくしかなくなる。最近の文章を書くモチベーションは至ってこれが強力だ。薄暗い押し入れの中でひっそりと企むように書いていく。ここまで言っても本当は誰かのまなざしを向けられてみたい。でも、向けられたら向けられたで煩わしくなるのが実際かもしれない。