最近自分に対して虚しい感情が多いので、私が一番輝いていたと思う、小中学生のときの運動事情について書きました。「バスケ編」と「走り編」(?)で分けています。
小学生時代
バスケ編
- 幼稚園からの友だちに誘われ、小1からミニバスチームに入る(弱い、試合に出られる最小人数しかいないチーム)
- 高学年になったときそのチームのキャプテンになる
- 市の選抜チームに参加(各地域のチームから2人くらい選ばれる)
- 背が低かったので、ボール運び&回しをする担当だった
- 足も速かったので、「速攻」は得意だった
- ディフェンスも得意!
- ただ、ゆるいチームだったのでポジション名は「センター」と「フォワード」しか知らなかった
- 選抜チームの練習で「あなたは"ガード"ね」と言われてディフェンスしかできないポジションなのか???と困惑した
- 小学生女子の集まりなので、いざこざが色々あってつらいこともあった 結構あった しんどかったな〜
走り編
- 小1〜4まで、学校の持久走大会で1位を獲り続ける
- 2〜3位を獲り続けていたいじめっこに冗談っぽく「1位、譲ってよ」と言われてムカつく
- 小5からはいじめっこ以外のダークホースが現れ1位の座を奪われる 私は1位を獲れなくなるが肩の荷が降りた感じがした
- 小5〜6くらいで、市内の学校対抗の駅伝大会メンバーとなり練習に参加する
- 運動会ではリレーでアンカーを走ることが多かった
- 市のマラソン大会(3kmくらいだったが)によく参加した
- でも長距離はすぐ息が上がり苦しいので嫌いだった ダッシュが好きだった
- ハードル走で何かしらの大会に出た(体育の先生に声をかけてもらった)
中学生時代
バスケ編
- そのままバスケ部に入る
- 1年の頃はザ・1年という感じの練習だった(1年は外練 など)
- 2年になると、強いミニバスチームからの後輩がたくさん入ってくる
- 後輩とともに、その父親がコーチみたいになって指導に幅をきかせてくる 嫌
- 1年がうまいので、「1年は外練」の概念がなくなる
- ミニバスのときは練習がゆるかったが、後輩父の指導によりハードに
- もちろん先輩の中にも強いチームから来た人はいたので、試合を想定した練習中にうまく立ち回れないと「そこ邪魔!」みたいな言葉を吐かれるようになって凹む 今までは牧歌的だったので
- 副部長になる 後輩には結構慕ってもらっていた(多分厳しくなかったから)
- 他校との合同練習中、向こうの顧問に「ディフェンスうまいね」とお言葉をもらう あまり反応をしない私を見て、うちの学校の顧問が「素直に喜べばいいのにw」とツッコミを入れてくる
走り編
- バスケ部以外に、体力テストの1000mを4分以内で走ると自動的に入れられてしまう「駅伝部」に参加させられる
- 陸上部の顧問が長なのでかなり本格的
- 7:30〜8:00 朝練
- 8:00〜はバスケ部の朝練に移動する(陸上部以外で参加している生徒は自分の部活に向かう)
- 肺を鍛えるため、冬は布マスクをしてジョギング(めちゃくちゃきつい)
- 雨の日は校庭が使えないので校舎内の階段をダッシュで昇り降り(3階?分を20周とか、その後筋トレ)
- 夏休みはほぼ毎日、1時間だけの集中した練習(午前中の涼しい時間)
- 夏休みは校庭ではなく、学校の近くにある400mトラックのグラウンドを使用
- 基本は200mダッシュを12本(男子は15本)
- その200mダッシュはタイムが測られていて、何秒を切らないと1本追加、みたいないかつめのメニュー
- 駅伝大会は秋か冬だったので、2学期くらいから掃除を免除されてその分の時間を練習に充てられる
- チームとしては市の大会でいい順位を出して県大会にも出た(なお私は補欠だったので気が楽だった!)
- 県大会のコースの試走・練習として、公欠で何度か授業を休んで現地に連れて行かれた 楽しかった
- 県大会は山のほうで行われたのでやっぱり山のほうの学校が強い