塗りかえる

とにかく、本やら、なにかしらの文章の作品を絶え間なく読み続けている、ここ数日間。手にしているスマートフォンから手に入れられる情報が、滞留していたからだ。仲間たちの生活は画面上で目にすることが、がくんと減ってしまったし、かといって自分から積極的に、彼らに直接連絡するわけでもない。なんとなく同じ空間を共有している気持ちだったけど、もうそうもいかないらしい。タイムラインを更新する。動かず。虚しく、空腹と同じくらい苛ついたりもする。では、今度はYouTubeを開いてみる。ジャンキーな、ホットスナックを食べるのと似ている。「つまらん」と呟きながら、次の動画を探している。依存状態なのは自覚している。結局再生速度を上げて2倍速で観てしまう。ジャンキーだ。だからちゃんと満足もできない。何かが引っかかっている。それだったらもう本だ。鬱がひどいときは本を読むことが不可能なのだが、幸運にも今は読める波のときらしい。いまのうちに読む。ふと書店に立ち寄り、普段は読まないような自己啓発系のものを買ってみる。遠藤周作の本も合わせて、3冊。自己啓発系の本は、「過去の思い出に浸りすぎると脳が老化する」と記してあった。それだったら、やっぱり本だ。本に向き合う気持ちも少し変えてみた。いつもは、ただの遅読というのがありながら、じっくりと大事に本を読む。だけど今はとにかく、頭の中の最新を塗りかえていくのを目的にして、青空文庫にある短篇でもいいから、たくさんの作品を読んでいく時期にしようと思っている次第だ。ずっと、数少ない思い出に浸っている。すきあらばだ。それは一旦やめにして、少しでも別の世界に浸れる時間をつくって、自分の気を逸らしてみたい。読書が手段になっているので、読んだところで感想を持てていない自分にも罪悪感がなくてよい。